3/20 Sony WH-1000XM4を使ってみて
大学入学祝いで色んな物品を頼みました。
まだまだ開けてないものばかりですが、開けた物のなかで一番印象深いのは、
Sony WH-1000XM4ですね。
機能などは既知だと思われるので素晴らしいところだけいうと、
ですよね。
ノイズキャンセリングが薄い膜を通したような音だという人がいますが、結構良いノイズキャンセリングですね。びっくりしました。
...ただそれだけですが、大きな驚きでした。
ヘッドホンでもイヤホンでもそうですが、長時間耳につけたくないので、ノイキャンが必要な時だけ着けるイメージですね。
3/19 手術が終わり退院しました。
※この記事は片目で文字入力をしているため、誤字がある可能性があります。
念願の先天性眼瞼下垂症の修正手術をしてきました。
今回はその話を書いておこうと思います。
まず初めに、私は両目の先天性眼瞼下垂症持ちです。(2回目)
先天性ゆえ、なにが原因かはわかりません。
受精して細胞分裂をしたときに作られる遺伝子(からだの設計図)になにかしらの異常が生じたのかもしれませんが、ほかの先天性疾患同様確率的なものです。
幼少期に複数回手術を全身麻酔(手術中に暴れるのを防止するため)で受けました。
しかし、手術後の成長でまぶた(眼瞼)が伸び、目を閉じたときに目が完全に閉じない状態が生じたこと(イメージとしては普段のように目を閉じたとき、一本の光の線が見える感覚)、目の開きが不揃いで周りから陰口(主にきもい)を言われるので修正手術をすることに。
きついなぁと思ったのが、いじめられるというよりかは、目を閉じても開いている状態なので夢遊病状態になっていることですね。
わかりやすく伝えると、自分(脳)は体内時計で寝ようとしているのに、外から「えいえい」と邪魔されている感じですね。
その状態が何年も続いているので、一応練れてはいるのですが、家族によると、寝てる間も寝言を言ったり、ベットから立ち上がろうとしてまたまた寝るといった動作をしているみたいです。起きている間に皮膚がかゆいと思ってなくても寝ている間にかいていたりなど....過去にいじめられていて精神的にやみ続けているのかもしれませんが、目を閉じても開いていることが多少関係しているのではないかと思っています。(ちなみに、睡眠中に行った行動は覚えていません。)
とはいってもそれを眼科の先生に言ったところでどうにかなる問題ではないことは十分わかっています。
ってなわけで手術を依頼しに行くわけですが、その苦労は
この記事に。
ここからは、手術以外の病室生活と手術について書いていきます。
〈病室生活〉
やはり目(眼瞼)の手術をするだけなのに、前日入院し、外科の人と同室で生活することですね。
運が良ければ個室も取れたのかもしれませんが、さすがに眼科ごときでは無理でした。
同室だった人は、甲状腺か呼吸器系のがん治療をしている方で、放射線と抗がん剤の副作用でたんや倦怠感などが発生して常に吐くような動作をしていました。
部屋にはトイレ・シャワーが付いていたものの、コロナ以外の感染症などに感染しないようにわざわざ外のトイレやシャワーを使ってました。
なにか言えばよかったのではないかと思う方もいるかもしれませんが、そんなことをいって将来自分がどうなるかわからないわけですから、特に何も言わずに寝たり大学課題やったりして時間を潰しました。
〈手術〉
初めての全身麻酔なしの手術だったので、楽しかったですね。
手術チームの1人の方に「なぜ?」と言われて先述の理由を正直に話すと、「そんなこといったやつなぐってあげる!」って言って励ましていただきました。
まあ多分同じ生涯を迎えてもらわないとわからないだろうなぁとか屁理屈を思いつつ、容姿が整っている人にそういわれると単純にうれしかった記憶があります。
手術中ですが、担当医と話しながら手術を進められて面白かったです。
イメージとしては、マグロの解体ショーを捌く人の実況を聞きながらやるみたいな感じ。大学病院は研究機関の一つでもあるので、眼科の診察システムの改修について、部位の説明、施術方法などを後輩の医師に伝えながら私の容体(痛みなど)を聞ける感じはなかなかない状態でした。
入院生活だけが大変でしたが、主治医や看護師などの人と話せる時間はとても楽しかったです。手術後の翌朝には退院できたので時間が短く感じられたのもあるのかも。
手術後のアフターケアとしては、傷口を外用薬と内服薬の両方から直していく感じです。とりあえず抜糸まで頑張りつつ、大学入学するまでにはなんとか元の状態まで戻ってほしいところ。
あと、早く抜糸して両目で物が見えるようになってほしいです。
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3/18 手術が近くなってきた
以前
お伝えした通り、持病(先天性眼瞼下垂症)の眼瞼修正手術が近くなってきました。
特に不安はありませんが、最後に手術したのが5歳の時なので記憶がないですね。
本来は眼瞼付近の筋肉に麻酔を筋肉注射してから形成するみたいですが、動いて危険な乳幼児の場合は全身麻酔をするらしく、どおりで記憶がないなという印象です。
今回は局部麻酔のみのようなので、どのような状況なのか気になるところ。
目が乾きそうだけど、手術前に乾燥しないように点眼するんでしょうか。
わくわくしますね。
とりあえず、手術の前日入院の時に大学の課題が発表されるようなので課題をやって終われせ、時間の流れに任せるしかないですね。
3/11 高校を卒業しました。
今日は3.11 東日本大震災から11年。
あの頃は小学1年生で小学校に居残りしていましたが、今では高校を卒業してこれから大学生になるほど成長しました。
今日は3/8にタイトルの通り高校を卒業したので軽く書いておこうと思います。
どんな3年間だったのか簡単に説明すると、高校1年生の終わり(2020年3月ごろ)から新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による一斉休校が始まり、社会人のみなさんがすごしてきた青春の高校行事が消えていきました。
1月に本当は推薦で合格したのに記念だからと受けた第2回大学入学共通テストの後からの休みに自分の経歴をまとめていて気付いたことですが、コロナ禍でもイベントに挑戦し続けたと思います。
委員会や係活動などを除いたイベントをまとめてみると、
1年生では
・友達の英会話講習の手伝いなどの活動
2年生では
・東京2020オリンピック・パラリンピックの生徒ボランティア(大会延期で中止)
・知り合いの会社手伝い
・都のイベント関係
3年生では、
・都のイベント関係(続き)
…って感じです。
卒業式直前に表彰をいただきましたが、まあ表彰されるくらい果敢に活動していたんだなぁと思い出します。
唯一の反省点を上げるとすれば、やはりクラスメイトなどの横の広がりがなかったことですね。それでも、小中高の中ではいろんな人と知り合いになれたのではないかなぁと思っています。
大学でも勉強を頑張りつつ、興味を持っていろんな分野に食いついていきたいですね。
2/20 ITパスポートを受験してきた話
ということでやっていきます。
大学に推薦合格し、1月の授業日終わり~大学の入学式まで暇だなぁと思っていたのですが、先日の投稿にもあるように、
休み期間をフルに使えるわけではないので、何かしら資格を取りたいなぁと考えていました。
もしかしたら、これを読んでいる方の中には、
「自動車免許」を取らないの?
と思った人もいるかもしれません。
それも魅力的でしたが、高校の登校日があることも踏まえると難しかったんですよね。
(1回目はコロナ禍でなくなったんですけども。もっと早く言って欲しかったんですが。)
ってなわけで、自由に使える期間で取れる資格はなにか調べたら、ITパスポートがあったわけなんです。
対策は適当に参考書を買って勉強して、IPAが出している過去の問題(CBT)やWeb上の問題集を取り組みました。
一応リンクを貼っておきます。
(注意:これは令和3年度版です。)
受験結果としては、IPAの受験レポートにある基準は超えました。
結構基準を低めに設定しているように思いましたが、毎年度ITの進化に合わせてシラバスが更新されるので、まあ妥当なのかなと思います。